大阪府下の王子、堺から泉南まで


         
 市内ほどではないが、一部を除き王子跡は不確かな所が多い。標識は後世の道でも「熊野古道」と書いている和歌山県と違い大阪府下は新しい「熊野街道」と古い「小栗街道」を分けて表示されているので良心的?大阪市から外れるがやはり都会、一部に一方通行があるので注意が必要だ。
 
 


 境王子
    堺市北田出井町3-46         境王子の地図
 目標物=王子ヶ飢公園
 駐車=道路脇

 あべの筋を南進し大和川を渡ると堺市、「南庄」交差点を左折し途中で南海線を越えると右に小さな王子ヶ飢公園がある。碑は公園の東側の道の角に説明板とともにある。20年ほど前までこの公園は墓場であったとか。この道を真っ直ぐ東に進むと大阪刑務所と大阪少年鑑別所の間を抜ける道だ。
 ちなみに渡った大和川は300年前に掘削して付け替えられた川だから、上皇達は渡っていない。

 後世に熊野神社(現在の堺区熊野町東1丁)に移り、その熊野神社も明治41年に菅原神社(堺区戎之町東2-1-38)に合祀されたため、正確な位置は不明であるが、文献などから、南下してきた熊野街道は堺の町の東側を通り、方違神社付近で大津道と交差し反正天皇陵西側を通っていたなどから、境王子は方違神社の北方付近にあったと考えられている。文久3年の堺絵図にも「小栗道」「王子ヶ飢」の記載があり、境王子があったことがうかがえる。
  この地域は、摂津、河内、和泉の境があった場所で、境王子の名はこれに由来するといわれている。

         境王子址

 この付近の熊野古道は1km程海側の阪堺電軌阪堺線の通りを通っていると堺市のホームページに載っている。




 ○仁徳天皇御陵
                            仁徳天皇陵の地図
  目標物=御陵通り
  駐車=正面にあり

 熊野古道近くにいくつかの天皇陵が有るのに、上皇達は寄ったと言う記録はない。平成の庶民なら先祖の墓が有れば、近くを通るのだからついでに花の1本でも供えて行こうなんて考えるのだが、上皇達は穢れを極端に嫌ったのかも。境王子から仁徳稜に来るには、刑務所沿いの道を1.5km程南進し府道2号線「広陵町西」交差点を左折、高架を越え次の「広陵町」交差点を右折し1.5k南進すると左にローソン、交差点の向こうにセブン7のコンビニのある交差点を右折する。1つ目の信号の所に有料駐車場があるが、そのまま進むと御陵正面に無料の駐車場がある。

        仁徳天皇稜    仁徳天皇稜鳥瞰(説明版より)




 ○南宋禅寺
                               南宋禅寺東門の地図
  目標物=高速から一つ目の信号を右折
  駐車=東門に無料

 熊野古道はお寺のすぐ傍を通っている。1557年開山、1615年夏の陣で焼失。1617年再興、堺第一の禅宗寺院で堺町衆の文化向上に大きな役割を果たして大きなお寺である。

       南宋禅寺の門      歴代千家の墓所          茶室




大鳥神社
                              鳳神社入り口地図
  目標物=30号線からだと裏から入る事になる。
   駐車=正面から入って境内

 南宋禅寺から神石市之町交差点、大鳥神社前を通り上交差点(30号線が南西に曲がる処)まで地図を見れば熊野街道がよく分かる。
 熊野街道は大鳥神社の西の鳥居前の道でそのまま南に進むとアーケードの付いた鳳東商店街となっている。商店街に北王子会館があるので王子と言う地名だけだが残ったそうだ。尚この商店街へは車の乗り入れが出来ないので入り口で左に折れ30号線へ

   
       大鳥大社       ヤマトタケルノミコト 商店街になってる熊野街道

 

 
 大鳥居新王子
   堺市鳳東町                  NTT鳳営業所地図    大阪真空機器
 目標物=府民センター・NTT
 駐車=
 この王子も特定できない。府道30号線を300m程で右側に府民センター、少し行くと左側にNTTがある。NTTの角を東に300mほど入った左側大阪真空機器の敷地が王子址との説もあるが余りに古道から離れすぎている。府道30号線沿いのNTT鳳営業所の裏手で王子碑が見つかったとの情報ありと昭和62年に西律氏は書いている。
 また合祀されたと云う大鳥居美波比神社の旧地は警察署の北付近(明治12年に建てられた 大鳥大社の大宮司であり文人画家の富岡鉄斉筆による「美波比神社旧地」の碑は近くの旧家久保家邸内薬師堂の前に昭和44年6月に移された) この美波比神社は式内社で大鳥神社境内に移され北王子集落(東鳳町)の 氏神として祀られ,前に平清盛の歌碑がこれも富岡鉄斉書で建てられているという。

王子趾?の大阪真空機器会社


  篠田王子
    和泉市宮本町                篠田王子地図
  目標物=聖神社の鳥居
  駐車=鳥居の横の道路

和泉市に入った所で、府道30号より東側を並行する狭い道となるが信太小学校からは一方通行なので再度府道30号線に出て300m程の交差点(右に「小西モータース」左に「ガソリン」「ペットサロン信太山」の看板有り)を東に50mはいると聖神社の鳥居、鳥居の前の南北に通っている道が熊野古道、鳥居の右広くなっている道を40m程ですごく狭い道を東に10m程登って行くとフェンスで囲った小さな公園の前の道に篠田王子跡の石碑がある。公園の左の辺は元青年会館が建っていたところが社地址で、近年立派な台座の上に小さな祠が建てられている。(未確認だが近年この公園も宅地になり住宅が建っているとの情報有り)
 聖神社は”日知り”の神、つまり暦の神で半島系陰陽師が信仰した神様だ。そういえば本殿にどこか朝鮮を感じるような気がする。聖神社へは鳥居の左横の道を登って坂の途中から左に入る道、又は山をぐるりと回り反対側からも入れる。こちらの方が駐車は楽。


  

 篠田王子址  神社鳥居、家の手前を入る  聖神社    地図

  
*後鳥羽院熊野御幸記
「八日、天晴、仏暁出道、参信達一ノ瀬王子又於坂中祓参地蔵堂王子次参ウマ目王子次参中山王子」
*大阪府全誌
「本地は古来和泉郡に属しもと信太郷の内にして、王子村と称す。尊命は篠田王子のありしより起これり。篠田王子社の址は南方字王子にあり。社は御幸記に見え、明治五年村社に列しきたりしも明治四十二年一月篠田聖神社に合祀せられ今はなし。」

葛の葉稲荷神社                   葛の葉稲荷神社の地図
 葛ノ葉狐で名高く陰陽師に関係のある近くの信太森神社(葛ノ葉稲荷神社)も是非お参りしておきたい。本殿の周りにいくつもの末社があり少し異様な雰囲気。

                         
  目標物=
  駐車=境内

       葛の葉稲荷神社       本殿




  平松王子
  
 和泉市幸町                 平松王子地図
  目標物=放光池1号公園
  駐車= 道路脇

「聖神社」の鳥居前から南に八坂神社を過ぎて信号のある交差点。土居共米穀店前を左斜めに狭い一方通行の道を行くと交差点の手前左に大きく整備された公園「放光池1号公園」、交差点の北西の角に「平松王子」の石標。王子跡は是より北北西70m付近と云うが何もない。
 今は町名は変わっているが戦時中隣組に「平松」と云う組があったというが、地名としては今はなく石碑のみ。

交差点角にある平松王子の碑 熊野街道沿いの信太山自衛隊 



 ○池上曽根遺跡
平松王子の西方R26号線沿いに池上曽根遺跡公園と弥生文化博物館がある。公園には数棟の復元家屋があり、博物館には池上曽根遺跡より発掘されたものを中心に2000年前のロマンを満喫さしてくれる。入場料400円、特別展のときは600円。


         池上曽根遺跡公園入り口          弥生文化博物館入り

いずみの高殿前の「聖なる立柱」は興味深い        銅鐸の輝き      卑弥呼の館のジオラマ


 井口王子
  
和泉市井口町            井口王子址    泉井上神社地図  
 
目標物=柳田橋
 駐車=道の左側に月極め駐車場がある。

 平松王子から途中の自衛隊前で右斜めの道、古い町並みを進むと「和泉清水」の泉井上神社がある。ここは古来、和泉国和泉郡和泉郷と呼ばれ「和泉」と云う地名も「泉井上神社」の社名もこの泉に由来すると書かれていた。「泉井上神社」の鳥居を過ぎ、街道らしい雰囲気の狭い道,小栗街道の碑を見ながらなおも進むと30号線と合流点のところ、槇尾川を渡る手前に妙福寺、子安地蔵の祠と一緒に「井ノ口王子」の石標が建てられている。
茶口王子の別称あり、以前はその址を示す石塔があったが今は行方不明。
 この辺はオージャノクボと呼ばれ道路より一段低くなっているから王子の窪と言ったという。後世堤防が作られ妙福寺の後ろ一帯が窪ちのようになったのでこう呼ばれるようになったのかも。

泉は見られないので看板だけ 井ノ口王子趾 明治30年代建てられている

  


  池田王子
    岸和田市下池田町               池田王子跡付近地図
  目標物=大町交差点・久米田保育園
  駐車=保育園駐車場又はマンション駐車場

 久米田駅手前の「大町」交差点(R26号への標識がある)を右折れ、すぐの踏切を渡り紀陽銀行に沿うように左に、一つ目の久米田保育園の標識のある所を左折。150mほどで久米田保育園前を左折れし50mで右にアパートの駐車場。この駐車場の左奥付近というが標識も何もない。
 昭和35,6年頃まで台地で樹も生えていて、昭和後期まで水田に島のように見えていたようだが、今はその面影すらなく、アパートの北側角付近らしい。

 
大町交差点に戻り30号線を南進して行くと大きな門構えの家が続く。

   アパートの左角付近が王子址

 和泉式部の伝承地「恋の淵」「恋ざめの淵」(向陽書房「熊野への道」より引用)
  久米田駅と東岸和田駅の中間、上松町南交差点の南100m程の所に、かの恋多き和泉式部は金持ちの男を見つけると「恋の淵」で顔を洗い恋心を募らせ男と契りを重ね 、男に金がなくなると「恋ざめの淵」で顔を洗い恋心をさまし別れたと云う。夫の浮気や息子の女狂いには、「恋ざめの淵」の水を飲ませると効果があるとか。


  浅宇川王子
    貝塚市半田                 三和製作所玄関地図
  目標物=三和製作所
  駐車=路肩

 浅生川を渡ると右側が根来産業工場、続いて200mで三和製作所がある。
 
鹿王子とも言った。明治42年までは半田部落の氏神であったが阿里莫神社に合祀され、元は境内300坪余りあった。社地は民有となり今は三和製作所となっている。
 一里塚を見る時は三和製作所の前から30号線に並行した左の狭い道に入る
。2つ並んだ池を過ぎるとまもなく左に一里塚だ。なおも南進すると自動車学校、手前かそのむこうで30号線に出る。

          三和製作所入り口 原形を留めている麻生中一里塚


  鞍持王子
    貝塚市王子                  鞍持王子跡付近地図
  目標物=和泉橋本駅
  駐車=道

 
三和製作所から2km、近木川手前の積善交差点を左折れ、貝塚中央病院の南側の旧道の狭い道を400mで片側信号の道路を横切り200mで和泉橋本駅南方で熊野街道は線路を横切るように続いているはずだが線路で行き止まり。この分断された辺りを原宮といい、この付近が鞍持王子址。
 もう一つの説では南近義神社近くの正福寺の東側付近が社地であった言う。このお寺は820頃建てられたと伝えられ、馬に乗っている珍しい勝軍地蔵尊は秘仏で3月24日と8月23日に御開帳される。            

  和泉橋本駅のプラットホームで行き止まり  正福寺の右側付近  


  近木王子
 
  貝塚市王子704               吉祥園寺地図
  目標物=善正寺
  駐車=ナシ

 和泉橋本駅の西、府道64号線ジャスコ手前「地蔵堂」交差点を右折すぐ左折れし200mで南近義神社、鳥居前の道ではなく南に一本目の道を西に約150mで左に吉祥園寺の標識、歩いて行き、門前から右折れ50mで善正寺。善正寺と吉祥園寺との間が字名を権現と称し300坪程の一区画が王子社跡地と云うが民家が建っていて何もそれらしきものは無い。明治40年10月南近義神社に合祀されている。

南近義神社 善正寺 吉祥園寺

南近義神社南近義神社の東100m付近、西に上福寺、南に正福寺に接した字地蔵堂の土地は、明治末年に廃社となった王子権現の社地。地蔵堂も共に王子社の址であることはまちがいなさそうだが、御幸記の道程から見て先の善正寺付近が合致するように思える。

 
「南近義神社から西へ進む。善正寺、長泉寺、吉祥園寺と寺院が並ぶ。鞍持王子から昼養所に駆け入る。コ木の新王子堂、吉祥音寺と・・」と文献に残っているという。



  鶴原王子
    泉佐野市貝田町              貝田会館   
  目標物=四角池・貝田会館
  駐車=道路
 
 近木王子から府道30号線「王子南」交差点に出て間もなく直進するように府道64号線を50m程で信号それより100m弱狭い道に右折200m程右側「貝田会館」がその跡地という。会館より更に50m程西の南北に通っている四角池の池端の道が熊野古道。 御幸記には鶴原王子となっているが貝田王子の方が一般的らしい
 はじめにも書いたが、淀川の八軒屋から谷町筋から阿倍野筋を通りこの王子までは府道30号線と思えばよい。この王子からJR和泉砂川までは64号線を走ることになる。

 合祀されている加支田神社は貝田会館の西方R26号線「加支田神社東交差点」を渡った所、左側に5台ほど置ける駐車場がある。

合祀されている加支田神社 貝田会館

 御幸時代から時代は下がるが、近木川一帯では秀吉と根来の戦が天正13年(1585年)3月に、また少し南の樫井川付近では元和元年(1615年)4月に大阪夏の陣に参加する紀州の浅野と豊臣軍が2時間程の戦いで2万人の戦死者を出す、ともに大激戦があった地域だ。


  佐野王子
    泉佐野市上町592               佐野王子址地図
  目標物=鉄塔
  駐車=道路脇

 佐野王子は府道64号線を進み国道26号線を斜めに横切り、左側に大きな赤白の鉄塔手前を斜めに左折し100mで右にアパートに向かって入った右、ウバメガシの生け垣の中にある。
 泉佐野市史にも「遺跡を示す碑が建てられているが、この辺であったというだけで確実に指摘する事ができない」とかいているだけ。今の王子址は昭和20年4月に顕彰碑が建てられた。

        佐野王子跡 「和歌山道」と書かれている道標



  籾井王子(樫井王子)
    泉佐野市南中樫井174-1              籾井王子址地図
  目標物=いずみモータース
  駐車=モータース工場前

 府道64号線の右、いずみモータースの個人宅の前庭にあるが、気持ちよく見せてもらえた。王子碑は大正4年11月9日に日枝神社に合祀後、その跡地を譲り受けたいずみモータースの曽祖父が建てたものである。
 上皇などの参詣のおりには相撲や白拍子の舞などを奉納した。『熊野御幸記』でも後鳥羽院一行もここでそれらの行事を行ったのを見ると時代によっては重要視されたようなので、五体王子であったとも言われている。

     いずみモータース 前庭の塀の内に碑がある


  厩戸王子
    泉南市泉南町中小路               厩戸王子地図
  目標物=ゴルフ練習場
  駐車=道路

 籾井王子から樫井の集落を南東へ進み、樫井川に明治大橋、続いて新家川に架かる明治小橋を渡って行く。一丘神社と埋蔵文化財センターの間を過ぎると広い道と合流、変則三叉路の左信達大苗代郵便局前を鋭角に右折、正面に「ゴルフセンター」のネットが見えてくる。左に墓場を過ぎネットの右角に「厩戸王子」の石標と大阪府下としてはめずらしく立派な説明板がある
  

      厩戸王子跡の石柱 後ろはゴルフ練習場

 この付近の熊野古道は泉南市のHPに地図がある


  信達王子
    泉南市泉南町岡中              信達王子址地図
  目標物=緩い上り坂、左にブロック塀
   駐車=道路

江戸時代の熊野街道らしさが残ってる道の信達本陣跡を通過、約1km程行くとこぎれいな往生院、まもなく「大鳥居」の交差点に出るがそのまま直進する。ここから200m程で軽い登りにさしかかった所の右手の公園のような所に馬頭観音の祠が2つ並んで祀られているのが「信達一ノ瀬王子」「長岡王子」
 この王子は新達王子、長岡王子、一ノ瀬王子が3つであったとか2つだったとか、一ノ瀬王子しかなかったとかいろいろな説があるそうだが、この辺を通っていたことには違いないのでまたまたアバウトで次に進もう(^o^)


       信達王子址    岸和田土木事務所管轄内に設置されている 刈り込みがきれいな林昌寺



 信達王子趾から300m程進み府道64号線から左に折れ信達岡中の集落に「岡中の大楠」がある。すごく大きいので見ごたえもある。この大楠の傍に祀られているのは一ノ瀬王子との説もあるようだ。64号線からは寄り道になるように思うが岡中を抜けて南進し、30号線と合流して和泉鳥取駅裏に抜けるのが熊野街道。岡中の集落内はすごく狭いが走れる。             岡中の大楠の地図

 大きな楠と槙 この楠はきっと雄だよネ

                            

  地蔵堂王子
    阪南市東鳥取山中            地蔵堂王子看板  
  目標物=「滑石田」バス停
  駐車=道路
 64号線を走った場合は山中川の手前の信号を左折、JR和泉鳥取駅のすぐ前を通り抜け、変形の五差路(30号線の続を来ればここで合流)ようになって右の貸しガレージの中に進んで行ける。車は行き止まりだが新道が出来るまでは府道でそのまま山の中を300mほど進むと地蔵堂王子跡につながっている。今でも歩けば御幸道当時を感じさしてくれる。林が切れ前方に高速道が見えて来る辺が琵琶ケ崖、その南に地蔵堂王子があった所だと云う。
 先のT字路から府道を200m程で右手に神戸屋パンの看板と「滑石田」バス停、この商店の向かいを鋭角に左に曲がり100m程行くと左側に公園があり地蔵堂王子跡の立て板が立っているが、ここは江戸時代の一里塚趾であったらしい。更に高速道路ののり面に沿って奥に進むと琵琶ケ崖に達する。

 ガレージ前が昔の府道(古道) 地蔵堂王子址立て札がある公園

*和泉名所図会
  「古道で一番険しい難所とされる琵琶岸縣[びわかげ]があって、石壁の上に聳え片岸下に縣れり、行路陜阨にして動れば車倒れ馬たわる」


  ウハメ(午目)王子
    阪南市東鳥取山中             ウハメ王子址  三国鉄工下  地福寺の地図
  目標物=1.信号  2.三国鉄工  3.地福寺
  駐車=道路脇

 地蔵堂王子から高速、JRと絡み合うように雄ノ山峠に向かって行く。
 1.地福寺から真っ直ぐ出てきた道の信号を右折し山中川の八王子橋を渡りJRのガードをくぐって左の川岸にサクラとモチノキがある。西律氏が書かれている、高速道路工事に先立ち文化財を調査した道路公団の職員が目印に植えさした闊葉樹と云うのはこのモチノキだろうか。

 2.バス停山池を過ぎると高速のガードをくぐる手前100m、カーブになっている左、電柱の陰に馬目王子跡の極く小さい立て板があるが、イマイチ信用できないような標識だ。

 3.JR山中渓駅付近、江戸時代の紀州街道を近年整備され、余りにもきれいになったので往時をしのびがたくなってしまったが説明板があちこちに設置されているのはうれしい。地福寺の右手50mに山中神社(三沢家が祀る王子神社(馬目王子) で山中の足神さんという)があり、ご神体は石の祠に元の王子址から持ってきたという丸石が祀られている。明治41年に波多神社の境内社鳥取神社に合祀されたとも云う。

道とJRに挟まれた王子跡? 府道から八王子橋を渡って行く 府道脇の馬目王子址?