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熊野道之間愚記(読み下し文)
 二十一日 天晴
天明に御所に参る、出御之間、前行して寶前に参り御拜了って禮殿入御す、又御加持有るべしと云々、此間退出して、先陣し
(還御事)湯河の晝食に馳奔し了る、近露宿所に着く

 二十二日  天晴
拂暁に近露を出で下瀧尻マナコ小家の晝養了る、末の一點許り、田邊宿所に着く、日入り了るの後、此の宿所を出で切部を過ぎ、イハに入る、明日三宿を越すべし、遠路稠人(ちょうじん)術無き之間、今夜此の如く迷惑す、鷄鳴之程、此宿所に入りて一寝す、

 二十三日  天晴
日出之後、川を渡り小松原を過ぎ、シヽノセ山を越して、午の始めばかり湯淺宿所に入る、此所の五郎ト云男、宿所の事甚だ過差
(湯淺に入り五郎儲過差事)、予は感に堪えず、引く所の鹿毛馬餞(はなむけ)に了わんぬ、今日は適(たまたま)休息、終日偃臥(えんが)す
 
 二十四日 天陰 雨降間休
暁に出道、
カフラサカ藤代山を越す、雨甚しく路頭に度を失う、藤白宿所に入り小食、了りて又出道し、雨を凌いでヲレ山を越し、申の時許り信達宿に入る[御所近辺の假屋也]國の沙汰者、菓子の如き少々の物を送る

  

 二十五日 天晴
暁御所に参り、出御以前に出道、大鳥居小家にて食す、了りて出で住吉・天王寺を過ぎナカラ宿所に入る仍って之に渡る
(自京家より到來相具するの舩なり)、但し此宿は細川庄成時の沙汰也、人は來らずと云々、仍って即ち打ち出でて(水無瀬に入る)、了りて馳奔して皆瀬宿に入る、山崎前々宿所也、今日は十五六里を過ぎ了りわんぬ。御幸ナカラヨリ御舩に上り御うと云々、一寝す

 二十六日  天晴
鷄鳴之程、御幸入御と云々、但し只今即ち出御之由、左中辨これを示し送、仍って立出、天明之程、鳥羽の御精進屋に入る、即ち又出御して稲荷に御幸す、御拜御経供養例の如し
(御參稲荷拝事)、此間私の奉幣(法筵に渡ると云々)例の如く布施を取る、(俊家中將予は導師の布施を取り了る)、即ち二條殿に入御の儀はなお此の人数にて參るべしと云々、然れどもなお小々の人々は是れより退出す、九條に入りて小食し了りて、即馳せ出でて日吉に参る(即ち日吉に禮參事)。私宿願に依りて也馬場の邊りに於いて春宮權大夫に遇う、末の時許り參着す、奉弊了り、即ち馳せ帰りて、清閑寺の辺に於いて、松明を取り京に帰り、洗髪沐浴す了って寝付く、今夜は魚を食す

 二十七日    
(道之間雜物送先達許事)早朝道之間の雜物を悉く以って之を水に洗い、又雜物等取聚めて先達の許に送る。是恒例なり云々、文義之を沙汰

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