熊野関係古籍     熊野古道

宴  曲  抄

 

 鎌倉極楽寺の鎌倉後期の僧明空の作にて、当時流行っていた歌謡(俗謡)の一首である宴曲集。その中に「熊野参詣」と題した曲から鎌倉時代の熊野信仰と熊野への道順を知ることができる。

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   *ここに記したのは宴曲「熊野参詣」より抜粋したものである。

  宴 曲 抄 「熊野参詣」                              

 八相成道の無為の城、真如の台は広けれど、和光同塵の月の影は、やどらぬ草葉やなかるらん。さればや景行賢御代の事かとよ、南山の雲に跡を垂れて、星を連ぬる瑞籬に、誠の心をみがきつゝ、誰かは歩をはこばざらん。或は五更に夢をさまし、夕陽に眠を除て、煩悩の垢をやすゝぐらむ。宵暁の去垢の水、所をいへば紀伊国や、無漏の郡彦の山路の、雲の涛煙の浪を凌て、思立より白妙の、衣の袖を連つゝ、都を出道すがら、あの北に顧れば又大内山は霞つゝ、へだつる跡もとをざかり淀の河舟さしもげに、急とすれど在明の、名残はしゐて大江山に、かたぶく月やのこるらん。行末をはるかに美豆の浪よする渚の院、男山につゞける交野禁野の原、向の汀につのぐむ、芦の若葉を三島江や、難波も近成ぬらむ。九品津小坂郡戸の王子、過行方にやすらへば、武庫の山風おろしきて、浦吹送音までも、是や高津の宮柱、建て旧びし跡ならん。西をはるかに望めば、夕日浪にうかびて、淡路の瀬戸の夕なぎに、蘆手にまがふ薄霞、絵島の磯の遠津浦。東に顧れば又、あの伽藍甍を並て、宝塔雲にかゞやき、一輪光を残つゝ、転法輪所を顕して、法灯今に絶せず。並たてる安部野の松に、鶴鳴わたる磯伝、君千年は津守の、恨をのこす事もなく、まいれば願を満潮の、入江の松をあらふ浪の、白木綿かゝる瑞籬。神冷まさる住吉の、千木の片そぎ立並、舞袖もおかしきは、王子々々の馴子舞、法施の声ぞ尊。 南無日本第一大霊験熊野参詣

(中略)

 山は峨々として雲そひけ、海は漫々として浪を漬す。麓を過てよぢ登、御坂をこえてやすらへは、手向けの王子の御注連縄 なほくりかえし願、渚につゝく和歌の浦の、干潟に並立る廬邊の鶴も鳴わたる。汀にくたくる空貝浪に沈める玉柏、玉津島の明神、玉藻の廬にましはりて、吹上の濱の濱風も、神冷まさる音涼し。夏山のしけき軒端に薫橘、本の家主や袖ふれし、さもなつかしき夕風、梓弓入狭の山の鏑坂、分くる山路はしけゝれと、流はかはらす在田河。河より遠や名草の濱、濱路はるかに遠けれは、ほのみの崎をやへたつらん。青柳の糸我の山のいとはやも、はこふ歩の日を經ては、道もさすかにしられつゝ、湯浅の王子かうのせ、由良のみなとも程ちかく、紀路の遠山行廻、鹿の脊の山名にし負、鹿のしからん萩原、寶富安千年ふる、様にひかるゝ小松原。愛徳山をはよそに見て、氷高の河の川岸の、岩打越浪よする浦路に、かゝれは愍を垂る鹽屋の神なれや。此いなみ斑鳩切目の山、惠もしげき椰の葉、王子々々の馴子舞法施の聲そ尊。 南無日本第一大霊験熊野参詣
 秋の夜の暁深く立こむる切目の中山中々に、つきにこゆれば、ほのぼのと、天の戸しらむ方見えて、横雲かかる梢は、そも岩代の松やらん。千里のはまをかへり見て、皆へだてこし道とおみ、万山行ば万の罪きえて、今はや出立田の部の浦。砂地白々とゆかば白良の浜の月影。陰ぬ御代は秋津島。神もさこそは照すらめ。万呂の王子の神館。見すぐし難き稲葉峯、穂並もゆらとうちなびく。田頬を過て是や此。岩田の何の一の瀬。ききのみわたりし流ならん。債其れ上の深皙をおもえば、浮きたる此身のさすらひて、無始の罪障は重とも、さも消やすき泡の、衰あひがたき道に入ば、岩こす狼の玉とちる。涙も共にあらそひて、幾瀬に袖をぬらすらん。山河の打漲て落、滝の尻。渡せる橋も頼母敷、彼岸につく心ちすれば、誰かはたのみをかけざらむ。王子々々の馴子舞。法施の声ぞ尊。 南無日本一大霊験熊野参詣。
 山下に上を望ば、樹木枝をつらぬ。松柏緑蔭しげく、道は盤巌折峯に通じて逆上。登々てはル休石合龍の辺、行々は尚又幽々たりとかや。此の雲に埋む峰なれば、げに、高原の未とおみ、嶷敷岩根は大阪の、王子を過て行前も、はや近露になにぬらん。檜曽原しげり木の下。木枯さむく雪ちれば、花かとまがふ継桜、岩神、湯の河はるばると、御輿をこえて逓伝。閑谷人希也。鳥の一声、汀の水、峰の雪、物ごとにさみしき色なれや。うれしきかなや仰見て、是ぞ発心門ときけば、入よりいとど、にごりなく。心のうちの水のみぞ。げに澄まさりて底清く。あらゆる罪も祓殿。御前の川は音無の波しずかなる流なればかや。
 社壇軒を並て、あの三所権現若王子。五体四所の玉柱。滿山の護法の至るまで、或は久遠の如来も、常寂光の宮を出て或は関提補処の菩薩、慈悲忍従辱の姿をしばらくかくして、様々の利益を施す。御正体の鏡は、塵をはらひて蔭なく、珠簾玉を厳つつ、惣持施羅尼蘇多覧般若の声耳に滿り。河舟の法のしるべもうれしければ、いつか仏の御本へと思ふ心を先立て。煩悩の狼をや分過雲通苔路柴金瀬。取々なる道とかや。新宮は垂迹の始なり。飛鳥の宮、神の蔵、先此山は顕はれ、此巫女が鼓も打馮々をかくる木綿襁。佐野の浜松幾代経む。同緑の梢なれど、此二千石の号ありし、いかなる様なりけむ、磯路を廻浜の宮。山路に向ふ坂本・那智の御山は安名尊。あの飛龍権現御座。苔踏ならす岩がね。所々の霊窟、半天雲を穿て、三滝浪を重。峠より落瀧下の、例時懺法声澄て、瀧水漲音さぎし、かかる流の清ければ、かたじけなくも蔭なき。清和、寛平、花山より代々の聖代も此所にあれ。今に絶ず御幸あれば、百王の末も端籬の、久しき神の御世なれば、我国やいつも栄ん。 南無飛龍権現千手千眼日本第一大霊験善光寺修行。 

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