熊野関係古籍     熊野古道

熊 野 道 中 記  

 

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南紀徳川史巻之百一より

  熊 野 道 中 記                           南紀徳川史巻之百一
                  臣 堀 内 信 編
       郡制第十三
     奥熊野志 一   

按に紀伊全國を中斷したる西部を口六部
「名草海士那賀 伊都有田日高」と通稱し東部を牟婁郡とし之を兩熊野と稱す即ち口熊野奥熊野也日高郡境下村以東新宮川に至るを口熊野とす内に田邊領あり新宮川以東鵜殿成川より伊勢境錦浦迄を奥熊野と云ふ「内亦新宮領あり」從來如此なりしか明治二年國政改革に際し郡名に基き口熊野を牟婁上郡奥熊野を牟婁下郡と改稱せらる後廢藩置縣に至り新宮川より東北「即奥熊野」度會縣に屬し又之を南北兩牟婁郡に改めらる「口熊野亦分て東西牟婁とし和歌山縣に屬す」抑郡制を編する各郡に就き詳記する處あらんとするも其資料得す口六郡の如きは若府より廿里内外交通自つから頻煩人亦知る者多し獨熊野は封内の僻遠にして奥熊野は其最極邊也若山を距る五十里五十町一里木の本浦に治廳あり從來代官所と云ふ是より二十餘里伊勢國界錦浦ニ郷坂に至るを管内とし若山よりは通計七十餘里也加之田邊より東北は大嶽重々嶮嶺起伏道路殊に嶮難牛馬通せず籃輿なし故に紀人にして熊野を知るは十中一二を必し難し偶々其事を談すれは魑魅豺狼と群伍を爲すものゝ如きの忘想を下して茫乎たり地方に職を奉する郡吏小吏の如き常に往來なきに非れとも概ね刀筆の俗吏意を郡事の大體に止めす文人墨客山水の奇を探る者あるも徒らに詩賦畫圖の資に充るのみ中古仁井田好古等紀伊國續風土記を撰する國志の體に随ひ上古よりの沿革古事來歴名所舊蹟神社佛閣等を詳記して體裁自から別なり紀伊名所圖繪の如き熊野を缺く信嘗て職を奥熊野に奉し實践目睹亦尠からす故に一二得る所と併せて奥熊野志を編す既に奥熊野志あり口熊野の記なかるへからすと雖も材料今得る處なきを以て暫く之を缺く唯風俗人情施治之方等粗奥熊野に同しく大差なしといふ
一、熊野道中記著者不明蓋し職を地方に奉せしものゝ撰なるべし熊野巡在には欠くへからさるの辨書なり
一、群居雜誌は仁井田源一郎長群奥熊野郡宰中の雜誌なり一時の随筆に係ると雖も長群嘗て風土記助纂の日親ら深山幽谷を跋渉し加之七年間治民の職に在て盡力尠からす其民度形勢人情風俗細大熟知の人にして其治蹟歴々視るへきものありて湮滅すへからす
一、在郡日記は信同地在職中の日誌也杜撰陋拙を憚らさるは前記の如く邦内極邊の地人到る稀に随て古來詳記の書なし信在郡日淺きも地の情況を詳悉するは敢て讓らさる處故に付記以て該雜誌の補缺に供ふ己人の私記或は郡志の體を欠くの嫌あれ共時勢變遷あり世態風俗亦沿革あり他日或は舊致古様の考査に足るものあらは恐らく郡志大成の一助資たらんか

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熊 野 道 中 記
若山より   内原迄二里
 手平村 中島村 三葛村 紀三井寺村
  紀三井寺金剛寶寺 「護國院と云ふ 孝仁天皇寶亀元年建立
  名草山 万葉集 名草山ことにし有けり我惡のちへのひとへも慰めなくに
  名草濱 後 撰 紀の國の名草の濱ちきみなれやものいふかひ有ときゝつる
内原より   加茂谷迄二里
 黒江村 日方村
  琴の浦 夫木集 春風に浪のしらふる琴の浦はかもめの遊ふ處なりけり
 名高村 田中村 鳥居村
  名高濱     紀の海の名高の浦による波の音高しかも逢ぬ子ゆゑに    人 丸
      夫木集 紀の海の名高の浦に行舟のまほにも人を逢みてしかな    爲 家
  若一王子
  藤白山  有馬王子を此坂に絞り殺せし事日本記に見えたり
       續古今  紀の國に行幸し給ひける解き 讀人知らず
           藤白のみさかをこゆ(と)白妙の我衣手はぬれにけるかな
       夫木集 藤白のみさかをこえもあへす先目にかゝる吹上の濱    爲 家
  峠の王子 峠の道の右御幸記に塔下と書けり後の方に御所の芝といふあり
  地藏峯寺 峠道の右の地藏也石像の後に勸進聖柳山沙門心靜大工薩摩權守行經元亨三
       年十月十四日とあり
  橘本神社 橘本村入口道より一町程右の方阿彌陀寺境内
  岩屋山福勝寺 橘本王子より二町程奥本尊千手觀音裏見の瀧あり
  入佐山  藤白坂麓より二町南にあり土人相傳花山院熊野御幸の時
        橘本に一夜の宿のかりねして入佐の山の月を見るかな
加茂谷より  宮原迄一里廿八町
  所坂王子 橘本村の内道の右
  一の坪王子 山地王子とも沓掛の王子共一の坪村の中道の左に嶽山と云見ゆ
  蕪 坂  檜原峠とも云平家物語太平記にあり上下五十町峠の前に沓掛と云村あり白
       倉山道より左に見ゆ
  若一王子 下り坂左の方 畑村
  山口王子 下り坂左の方
  宮原八幡 道より三町程左の方道村にあり
宮原より   湯淺迄一里廿町
  御茶屋の芝 道の左方後鳥羽院熊野御幸の時頓宮の跡と云傳ふ
  有田川  宮原川とも水源は高野山より出る川上に石垣と云村有明惠上人出生の處な
       りと云
     拾 玉 世をいとふ心はかりは有田川岩にくたけてすみそわつらふ   慈 鎭 
  糸賀山 中の番村の南の山の總名也雲雀山見ゆ麓に稲荷社王子社あり得生寺と云あり
        あしろすきていとかの山の櫻花ちらすもあらなん歸りくるまて
  御茶屋跡 吉川村はつれ道の右是も御幸の頓宮の跡と云
  逆川王子 御茶屋跡の南地つゝき
  逆 川  王子より一町程南
     夫 木 聞わたる名さへうらめし熊野路や逆川之瀬をいかにかはせん  爲 家
         飛違ふ夜半の螢の光にて逆川の瀬とはしらるゝ        淳 國
  祓 川  吉川村道より半町保持右山根熊野行幸の御用の水なりと云
  顯國社  糸賀より湯淺山根道右の方
  ほう津峠 上下五六町
  鷹 島  湯淺川橋より海中に見ゆ
     玉 葉 我さりて後に忍はん人なれは飛て歸りね鷹島のいし      高 弁
湯淺より   井關へ三十二町
   湯淺庄司の城跡あり        
  養源寺  法華宗往年の御殿跡也
  廣八幡  道の右
  粂崎王子 廣村枝郷宇田村はつれより三町程左山手に見ゆ
 宇田 中村 殿村 井關村
井關より   原谷迄二里一町
   五六町行て河の瀬川雨天に急水出る
  津兼王子 井關村道の左
  稲荷社  同村の中道より一町程左
  津の瀬王子 河の瀬村入口より半町程右
  沓掛王子 河の瀬村はつれ
  鹿背山  上下五十町
     盧主集  鹿か瀬に寝たる夜鹿の鳴を
        うかれけん妻のゆかりにせの山の名をたつねてや鹿も鳴らん 増基法師
原谷より   小松原迄一里廿六町 「イに小松原へ二里道成寺へ二里余」 原八十町と云
  鍵掛王子 原谷村道の左
  馬留王子 同村の中道の左はさまの王子とも云
  新熊野  同村のはつれ槌王子森のはつれ
  槌王子  萩原村入口道より一町半程右の方
  高家王子 同村の中道より一町程右盛衰記平惟盛熊野へ落行時高家王子を伏拜とあり
 茨木村
  富安王子御旅所 下富安村入口より前道の右の方
  富安王子 善道寺王子とも云下富安村入口道の右
       鳥居の前直に行は小松原なり左の小川橋を渡り行は道成寺なり
  道成寺  大門迄石壇大門二王額黄檗高泉和尚筆天音山道成寺とあり
   本堂八間四面本尊十一面觀音一丈二尺内佛一寸八分脇立
日光月光四天王坐像釋迦八
   尺本堂の内清姫十七歳の像あり
   文武帝慶雲年中創建千年餘の古刹也紀州眞那古庄司娘奥州白川の僧安珍法師八百年
   に及縁起繪巻物披見百銅
   安珍塚堂前にあり室の枯木あり鐘樓の礎 少し中ひくに水溜
     毎年六月十七八日會式開帳
   小松原へ不行時は直に天田川堤へ上り下へ堤つたひに渡しへ行よし
小松原より  印南迄三里
  海士王子 小松原村入口道より十町程左
  王 子  同村はつれより一町半程右寶の皇子ともいふ
 嶋村 薗村
  日高川  天田川とも 水源和州十津川より出る龍神の流なり
          さしのほる日高の川も解やらて氷をくたく紀路の旅人    正 徹
  比井水崎 北鹽屋入口道より右に遠く見ゆ
  鰹 島  同浦より右に遠く見ゆ
   北鹽屋南鹽屋 堺橋あり
  鹽屋浦 夫木集 沖つ風鹽屋の浦を吹くからにのほりもやらぬ夕烟かな 第二の御子
   坂道小さ峠あり
  鹽屋王子 美人王子ともいふ
      千載集 思ふ事汲て叶ふる神なれは鹽屋に跡をたるゝなりけり 後二條内大臣
  御所の跡 右王子の跡つゝきにあり   「野島村」
  若一王子 上野村はつれ道の右
 上野村  續古今  熊野詣て侍ける時上野にて讀侍りける
          昔見し野原は里と成にけり數そふ民の程は知らねど 入道前太政大臣
      夫木集 幾鹽路ゆらの湊を漕出ぬ上野の鹿の聲かすかなり     覺講法師
 津井村 小川あり
  叶王子 印南坂下の中道の左
印南より   南部迄三里  土橋あり左に八幡宮有
  御所の平 印南村の中道の左山 後鳥羽院建仁の比熊野行幸の時の頓宮の跡
  富王子  光川道の左御幸記にいかるか王子とあるはこれか 丸山とて濱さき山あり
       此邊岩穴有小川あり坂道なり

  切目山 万 葉 切目山ゆきこふ道の朝霞ほのかにたにや妹に逢さらん
      夫 木 見渡せば切目の山もかすみつゝ秋津の里は春めきにけり
  切目王子 五躰王子とも云切目村道の左
      後鳥羽院熊野御幸の時 切目山遠の紅葉はちりはてゝ猶色のこす朱の瑞籬通親
   太平記此御神大塔宮に靈夢ありし事あり

  切目川橋 後ゑの木峠 「坂道下り長カ山の谷通を左に御手拭の松枯たり
  御所の畑 本村の中道より半町程左
  前中山王子 嶋田村榎坂の内道の左
  西岩代  みうね田小名也 柳水道左 昔權現の御供田と云小歌森野中清水
  岩代の崖 同村の右海邊
     寶治二年百首 岩代の峯の松影年ふりて同しみとりにむすふ苔かな後九條内
     大臣
  岩代の岡 同村道より一里半程左  後白河院此所に宿し給ふと言傳ふ
       新古今 行末は今幾世とか岩代の岡のかやねに枕結はん    式子内親王
  岩代の尾上 右岡の東につゝく

       後拾遺 岩代の尾上の風に年ふれ(と)松のみとりはかはらさりけり 資仲
  岩代結ひ松 道より峯のうへ
       万 葉 岩代の濱松か枝を引結ひまさきくあらは又歸りみん   有馬王子
  岩代濱  東岩代村南の濱を云 後鳥羽院御幸の時瀧尻
         岩代の濱路にすめる月影はいつしかふれる雪と見えけり 因幡守通方
  しとゝの藪 同村の中道の右今は藪なし森なり
  岩代清水 道より右へ二十間程入

          岩代の玉松か枝の石井筒結へる影を又むすふかな      長 明
  岩代王子 濱の王子とも云道より二町程右

       新古今  熊野詣侍し時拜殿のなけしに書付侍るなり     讀人しらす
            岩代の神も知らんしるへせよ頼むうき世のゆめの行末
  片倉峠  少し下りて又登る櫻茶屋と云あり
  千里濱  又千尋濱とも南部峠の道より十町程右海邊十二三町の間を云
         君か代の數にくらへはなにならし千尋の濱の眞砂なりけり   公 實
         末遠き千里の濱に日の暮て秋風わたる岩代のまつ
   大鏡に 花山院此處にて御心地そこねさせ給へは云々
         旅の空夜半の煙とのほりなは海士のもしほ火たくかとや見ん
       拾遺に 万代をかそへんものは紀の國の千ひろの濱の眞砂なりけり 元 輔
 三木佐 村 王子南部峠より十町程右の方へ入千尋濱の内
     南邊川

南部より   田邊へ二里
 南道村
  新 町  北道村の内新屋敷芝村の内
  鹿島社  埴田村入口道の右十八町程海中にあり道の左松林の中に拜殿あり 六月十
       六日祭禮
     万 葉 みなへの浦鹽なみちそね
イニ夕浪路さえ鹿嶋なる釣する海士を見て歸
         りこん
 堺 村  日高牟婁郡界 此邊清少納言枕草紙に有濱ゆふ多し八丈草もある
  袖摺岩  堺村下村界道右 とかりの鼻道左瀬戸崎界村はつれより海邊に遠く見ゆ
  白良濱  堺村はつれより海に右に遠く見ゆ湯崎村の海濱十町計(を)云
     夫 木 君か代の數ともとらん紀の國のしらゝの濱にしける石をは   兼 盛
     山家集 浪よするしらゝの濱のからす貝ひろひやすくもおもほゆるかな
  芳 養  二村あり界に川あり上はいはら總名をはやと云下は松原
  若一王寺 下村の中道左松原の出口に辨慶茶屋とて力餅をうる
  牛か鼻  同村はつれ道(右)
  齊田か橋 西の谷村より八町程前
  蘇生山  齊田か橋の先坂道を云
  潮こりの橋 西の谷村入口より一町程前
  潮こりの濱 右橋の右の方の濱を云
   相傳崇神天皇熊野行幸之時此河水に浴し給ふ故に後世熊野参詣之者此水に浴し清む
   と也
  御腰掛石 同濱にあり御所の谷西の谷村の中寺の後にあり今畑となる頓宮の跡なる由
  あこや嶋 同道の右海邊に有
  洲崎のはなれ松 同道の右海邊にあり
  神樂島  同西海中へ出たる飛ゝき岩山
  (出立王子 同道より一町程左の方)
  江川橋  田邊入口

田邊より  三栖迄三十二町 イニ三栖迄二里
   出立王子 丸山王子 三栖口大邊路中邊路追分也 町はつれ右に八幡宮あり 左祇
   園社あり右に池島小川あり
  新熊野權現 鷄合社とも云湊村はつれ右の方
   平家物語に田邊別當湛増此社にて赤白の鷄を闘せて源平合戦の勝負をせし事あり
  雲の森  下万呂村道の左山の麓に見ゆ
     夫 木 村雨の今朝もゆきゝの雲の森幾度秋の梢そむらん       知 家
  秋津野  下秋津村の東南に見ゆ
     續千載 人の世のならひをしれと秋津野に朝ゐる雲の定なき哉     法 皇
  若一王寺 秋津村にあり

  岩倉山  同村の東道より左山の峯
     新後拾遺 花すゝき誰をとまれと岩倉のをのゝ秋津に人まねくらん
  人國山  下万呂の道より左に遠く見ゆ土人訛て人目山と云
     万 葉 見れとあかぬ人國山の木の葉をそおのか心になつかしく思ふ  人 丸
     同   常ならぬ人國山の秋津野のかきつはたをしゆめに見るかな   同
  天王の林并池 中万呂村道の左右
  王 子  上万呂村道の左一町ばかりの處にあり
  八上王子 中万呂村道より左の方十八町程山越に入是より昔道なり イニ八上王子岡村
       にあり

     山家集 熊野へ參りけるに八上王子の花おもしろかりけれは社に書付らる
       待得つる八上の櫻咲きにけりあらく音すな三栖の山風
  岩田川  右同斷昔道あり
   按するに本宮にも岩田川あれとも名所にあらす御幸記に岩田川をわたり一の瀬王子
   へ參り瀧尻の宿に入んと有平家物語にある岩田川も此處と見ゆ
     續拾遺 岩田川渡る心のふかければ神もあわれとおもはさらめや
     拾遺愚草 染めし秋を暮ぬと誰か岩田川また波にゆる山姫のそて
     盛衰記 平重盛岩田川に着き夏なれば權亮少將以下河水に浴し戯る云々又維盛入
         道 岩田川に着て
       岩田川誓ひの船に棹さして沈む我身も浮ひぬるかな
  市の瀬王子 一の瀬村にあり右のつゝき昔道なり
  鮎川王子 同昔道
 眞砂村  同昔道 庄司の家此處にある也

  石不利川 八上王子より瀧尻王子への昔道の中にあり土俗は石舟川と云
     夫 木 三熊野や石ふり川のはやくより願をみつの社なりけり
  瀧尻王子 同右のつゝき是より芝村へ十三町出る即今の道なり
   後鳥羽院熊野御幸の時爰にて御座宇ありし事歌の題書に見えたり
三栖より   芝村迄二里半  イニ上三栖より芝迄二里半

  岩屋山普門寺 下三栖より五六町右山の上
  影見王子 同村道より五町程右の方
  三栖山  下三栖村道より三四丁程の右の山を云古歌八上王子の處にあり 城跡あり
  中三栖  たか坊とか云大伽藍有し處の由大塔の跡礎有古瓦掘出す事有布目にて千歳
       餘の由
  上三栖  入口の處に大將軍の社 入口道の左一倉明神
  八王子社 上三栖より坂にかゝる長尾坂と云
  水か峠  古松大木有野立場也
  から谷  水なき谷なり
  鹽見峠  此所より海見ゆ是より山中に入海不見此邊櫻大木多し
 松久保村  ひろ坂
   坂道下り覗橋と云あり橋の左川中に鐙石あり 眞那古へ道あり
芝村より   高原迄二十二町

  劍 山  瀧尻王子の東にあり芝村の中より此山の後見ゆ昔寺あり雄劍三(柄)金字
       法華經大般若老翁の假面あり兵火に焼失すと云ふ
  芝 川  岩田川とも云
  大門王子 高原坂へかゝる道大坂峠の上り初め
高原より   近露まて二里十一町 イニ十四町

   後鳥羽院熊野御幸時瀧尻王子御會に通方
        高原や峯より出る月影は千とせの松をてらすなりけり
   盛衰記に維盛熊野道行に 高原の峯吹風に身をまかせみ越の巖を越とあり
  十 條  立場茶屋昔十條と云者住し處也又上りて柚かたり
  大坂峠  八町下り嶮き坂あり是より岨傳ひ行て箸か坂下り也
  相坂王子 相坂へ下り口より右谷川を越十八間程入御幸記に大坂本王子とあり
  安宅川  近露川なり
  近露王子 近露村入口道の左前に芝あり頓宮の跡といふ
近露より   野中迄二十九町 イニ三十町

   登り坂左の方に鳥居見ゆ權現此所に御鎭座ありしとて森あり野中領に平秀衡か植え
   し櫻寺の前にあり杉林の中に王子社あり寺のならひなり野中清水王子の下にあり
野中より   伏拜迄四里 イニ四里八町

  手枕松  野中村の内楠山坂道の右の方
  比曾王子 社なし同村の内道の左の方
  接 櫻  同村坂の内道の右昔の名木枯て後先君命にて植たるよし
  接櫻王子 同道の左方
  中川王子 社なし同道の左
  紅葉ヶ瀧 中川王子より二町程先道の右イニ道の左に木隠れて小さく見ゆ此邊坂道なり
  小廣尾王子 社なし小廣峠道の左
  熊瀬川  家一軒太平記に阿瀬川と有は此處なるへし
  女夫坂  登り坂わらんす峠下りを女坂と云

  とちの河 家一軒鴨石あり是より登り男坂と云今栃ノ河ノ書イテトチノガワト云フ 古ノハ栃
          河 栃ノ谷ト書セリ

  岩神峠  男坂峠を云
  岩神王子 峠道の左

      散水闇歌集 雲のゐるみこし岩神越ゑん日はそふる心にかゝれとそいふ 俊頼
  湯川王子 道の湯川村の中左
  金山峠
  見越峠  茶屋あり峠より右へ行は湯の峯道あり下りて三越村
  音無の瀧 見越峠より廿町程先道の左玉ヶ瀧とも云 イニ道の左高く見ゆ上の雄山と云
       歌あり長き谷左に瀧川流れあり
  猪鼻王子 社なし右の瀧より三町程先右の方
  秡郷の杉 三本杉とて一所に生る所にて秡の杉といふ大木なり
  發心門王子 社なし猪鼻王子より六町程先坂の峠道の左の方
      千載集   熊野に詣ける時發心門の王子にて讀侍ける
           嬉しくも神の誓ひを知るへにて心おこす門に入ぬる
  南無房庵室 右社跡の左の方
   明月記に着發心門宿尼南無房宅此門柱書詩一首
   慧日光前懴罪根大非道上發心門云々
          入かたき御法の門はけふ過ぬけふより六の道にかへすな
  發心門  發心門王子の前道の右に有イニ左にあり是より奥熊野也  
   昔は大門ありしよし今は礎はかり有村名も發心門と云大木の杉あり
  見越川  發心門道の左の谷間流れ
  水呑王子 社なし發心門より十五町程先道の左
伏拜より   本宮迄一里イニ五十町
  和泉式部供養の塔 伏拜村はつれ道の左
  伏拜王子 同村はつれ道の左イニ秡殿王子
  音無川  本宮入口村より二町程先
      拾 遺 音なしの川とそつひに流れ出るいはて物おもふ人の涙は   元 輔
  囁 橋  同所にあり
      夫 木 熊野なる音なし川に渡さはやさゝやきの橋しのひくに  讀人知らす
   此歌によれば囁橋他國の名所なるへし
 本宮村  音無の里といふ也
      夫 木 音なしの里の秋風夜をさむみしのひに人や衣うつらん    爲 家
  平瀬川の瀧 本宮より三里程
  笈掛石  本宮境内舞堂の南にあり本山當山の門主入峯の時神前修行の時笈を掛置る
       よし
  七越峯  同社東門に出口より八町計東の峯を云
      山家集 立のほる月のあたりに雲きへて光りかさぬる七越の峯
  音無瀧  上の瀧は大山の上にあり中の瀧は小森村に有下の瀧は本宮村の北一町はか
       りにあり
      續古今 音なしの瀧の水上人とはゝ思ひにしほる袖や見せまし    為 家
  熊野川 
      紫禁和歌集 熊野川みせはやなかしめくりあはん音にのきくみつからそうき
                                     順徳院
  巴ヶ淵  本宮村はつれ船場大峯川音無川岩田川の落合を云
  大黒嶋  同所の向のすそ岩組備の宿とも云山伏の行所なり
  立 嶋  右の島の左に有岩組也土人此處より龍燈あらはるといふ
  海 宮  立島の内にありて延喜式に牟婁郡海神三坐とあるは此社の事か
  瀬織津姫社 社なし榊一本あり本宮より四町西にあり本宮末社也
  岩田川  本宮村船場より右へ入湯峯道の内
  閼伽井  眞名井小鹽とも云本宮はつれ湯峯通り左山脇社家社役を勤むるに此所にて
       行を修すと云
  小栗か力峠同村より十五町先湯峯通り右の方此外小栗か石あり小栗か事鎌倉大草紙に
       あり
  湯の峯  本宮村より西へ廿五町計温(泉)なり
      堀川院初度百首眞熊野のゆこりのまろをさすさほのひろひ行らしかくていと
      なし
      草根集 熊野路や雪のうちにもわきかへる湯の峯かすむ冬の山風
  湯峯王子 湯峯に有
  湯峯藥師 同所東光寺と云にあり
  塔 後鳥羽院御建立の由
  一遍上人名號石 道の右にあり
     本 宮

  第一宮  伊弉諾尊伊弉冉尊合祭
  第二宮  速玉男命 號速玉社
  第三宮  事解男命 熊野本宮三所勅額曰
        日本第一大靈驗所根本熊野三所大權現
  第四宮  天照大神國常立尊相殿
    以上號上四宮
  第五宮  忍穂耳尊
  第六宮  瓊々杵尊
  第七宮  彦火々出見尊
  第八宮  □□草葺不合尊
    以上中四宮              
(本宮大社社殿の配置図)
  第九宮  軻遇突智命
  第十宮  埴山姫命
  第十一宮 岡象女命
  第十二宮 雅彦靈命

    以上號四宮
    大三輪遙拜所
    地主社
高倉下命 穂屋姫命相殿
    音無天神社少名彦名命
    御戸開社 手力雄尊
    素戔鳴社 稲田姫相殿
    秡 所  天兒屋根命
    彦田社  伊弉冉尊荒祭
    水戸社  岡象女命
    大日山社 大日靈貴命

  秡 部天神社  菅丞相
  湯 峯王子社  大巳貴命
  河合村甲明神  泉守道命  
  和氣村御本明神 菊理媛命

  「 三越村 發心門王子社  饒速日命
  古今皇代圖曰人皇十代崇神天皇六十五年詔建熊野本宮云々蓋伊弉冉尊神靈自有有馬村
  遷音無郷
  高倉地也昔高倉下命所居熊野村也
  後鳥羽院建仁元年十月行幸
  堀川院寛治四年正月 行幸
  順徳院建保元年   行幸
     九里八町下り船
    右巴ヶ淵 陸地本宮より請川へ十八町
    左大黒嶋 川向にある岩なり
    右いもり山
     袋 谷
     身投島
     牛 島
  請川 小川あり雲取川の下流 請川より廿四町舟渡し
    右千石岩 昔此所千石の田畑の由
     千石の瀬 左の山下穴口と云淵あり岩に穴あり
   左高山村   上十五日繼場此邊紙をすく所なり 高山より一里
   左小津荷村  下十五日繼場
   右大津荷村
    同あしろかたけのみあけ島  絶景也
    同小松の瀬
    同掻上り石
    同爪かき石
    左折敷岩 川の中左の山際にあり
   右東敷屋村  代り合繼 敷屋より廿五町
   左西敷屋村 
    左坪井の瀬  早瀬也
     三郎か瀬 此川原縄切と云 (又ふなはいか瀬と云)
    左重り石
    左枯木石
     笹の瀬
     闇かり山 佛石 本宮鳥居石取たる所也
     山崎峯  前にある縄切とは此所をいふか此邊早瀬あり
     鐘木山  左の方殊の外山高し
    左むくろ石 左の方川向むくろと云在所あり昔より家三軒也
     位牌石
     烏帽子岩
    左絹巻石  二丈廻り長八間計

    左かふとの明神 本宮末社相次村はつれ山根にあり
   左川合村  川合より廿五町
   左宮井村
    小船村  北山川向ひ村なり三ヶ村繼所代り持此所北山川と落合出合口と云
   右音賀村  家高と云村あり名高唐木あり
    左楊枝藥師 昔三十三間堂の棟(木)出たる所なり柳の切口に藥師を安置せし由
    右貝吹岩  右三十三間堂の柳切たる時此石迄末届きし由此所にて貝を吹人をつ
          かひし也
   左楊枝村  楊枝より一里半貝餅
     志古の口 志古村の口也柳の渡し
     雲島山  那智より小口村迄山道三里計を大雲島小口村より請川村迄山道三里
          計を小雲島といふ
      山家集  雲島やしこの山路はさておきておくちかはらのさひしかりぬる
     志 古  川の右楊枝村の向山志古山の奥万歳か峯
    小口村  川の右日足村の前
   右日足村 日足より二里半
    能城村

    山本村   右三ヶ村同し所なり繼立代り合 山本より半里
    和氣村
     机 嶋
     見茂登明神 本宮末社也 山の半腹にあり
    右大口川  大雲取小雲取の間の谷川末也
     籬ヶ鼻の瀬
     かまこ川
     弁慶玉取石
    左かまか石
    左鐙 石
    右達磨石 
     いのしゝすへり石
     味噌大豆か瀬 早き瀬也長し
     龜 石
    田長村    田名古より子鹿へ一里
     たなこの瀬 右にたなこ山見ゆる
     中 嶋 瀬也 大岩也
     瀬たき  瀬三ヶ鼻
     野路の瀧 清水瀧と云
    右布引瀧
     銚子口瀧 田長村領の内川左中立の瀧のことか
     布引瀧  銚子口の瀧の先にあり右
     蛇のわたの瀧 布引との向にあり左田地かえりの瀧のことか
    左中立の瀧 三重の瀧也 銚子口
    右葵の瀧  此前瀬の瀧と云よしけわしき瀧也 滝壺葵の形に似たり
    左田地かへりの瀧
    左犬戻り
     猿戻り  此邊の川岸の道けはし
    右なひき石
    左右葵 石  男女共    (此間大難所也)
    小ゐしか村    子鹿より一里
    左六部勢田かへし
     比丘尼ころひ 二所共難所なり
     碁石投  皆山際の道也
     七日巻の淵
     仙人か森
     火鉢か森
     骨 石 白し
    右釣鐘石
     まな板石 大石なり
     庖丁まなはし石 山の上に立たる岩を云
     白見か浦 布引瀧より廿丁程先四郎の瀧の事か
     飛雲の瀧 蛇の渡しより廿町程鳳凰の瀧のことか
     きも石  まな板石の上にあり
     四郎の瀧 瀬なり
     鳳凰の瀧 雪ヶ瀧とも云
    淺里村   淺里より一里
     順禮札石
     碁盤嶋  川中にあり水際より上にこはんの如くなる石なり碁石もある
     (晝)嶋 淺見領川の中にあり碁盤島と飛石の事か
     下の瀧  (晝)島より少し下にあり左白糸の瀧のことか
     水谷の瀧 下の瀧より二町ほと先にありあさり瀧のことか
     飛 嶋
     かけじ石
    左白糸の瀧
     あさりか瀧
    檜枝村  北南兩村 檜杖より尾敷へ十五六町尾敷より新宮へ八町
     神倉山  新宮の後也
     奥 岩  山の下也
     みふね嶋    大友之渡しあり
     いかり嶋
    左牛ヶ鼻  相の谷口渡し有此所船着也  凡八里程苔傳ひと云
     御船嶋  北檜枝村より八町程先川中にあり
      九月十六日新宮事解男の神輿を此島に移す
      夫 木  三熊野の浦わに見ゆる御舟島神の行幸にこきめくる也  少將内侍
      盧主家集 そこの瀬にたれ棹さして御舟島神のとまりにことよせをせん
     牛鼻社  御舟島より二丁程先川の左山の半腹鈴木氏の祖神と云
     新  宮

   第一  伊弉冉尊
   第二  伊弉諾尊
   奥御前三神殿
   第三  國常立尊
   第四  天照大神
   中四社
   第五  天忍穂耳尊
   第六  瓊々杵尊
   第七  彦火々出見尊
   第八  葺不合尊
   第九  國狹槌尊        
(新宮速玉大社社殿の図)
       豊斟渟尊
   第十  泥土煮尊
   第十一 大戸邊尊
   第十二 面足尊
    前に禮殿後に輪藏
    同神樂所 後白河法皇建立
    同 大日堂
      三神殿 御仮屋左の方に神輿御舟あり
      景行天皇五十八歳御建立
             金海山 金界寺
      玉 葉   熊野新宮にてよめる
           天くたる神やねかひをみつしほの湊にちかきちきのかたそき 師光
      拾遺愚草   熊野に參らせ給ひける時新宮三首御會に庭上冬菊といふことをよ
            める
           霜をかぬ南の海の濱ひさし久しく殘る秋のしら菊    後鳥羽院
   第一  御本社  速玉男命鎭座せり神前に金の御幣あり辰巳に向
   第二  西の御前 國常立尊
   第三  中の御前 伊弉諾尊伊弉冉尊以上本殿三社
   第四  若一王寺 天照大神
   第五  禪師宮  天忍穂耳尊
   第六  聖の宮  瓊々杵尊
   第七  兒の宮  彦火々出見尊
   第八  子守の宮 □□草葺不合尊以上五社
   第九  一萬宮  國狹槌尊豊斟渟尊
   第十  十萬宮 泥土煮尊泥土煮尊
   第十一 勸請十五所大戸邊尊大戸道尊
     飛行夜叉  面足尊惶根尊以上四社
     合拾貳社
新宮より    三輪崎迄一里半イニ一里

  新の山御旅所 本社の西北五町計に有り
    神代巻神武本記を考るに本宮は伊弉冉尊を祭るに決せり古今皇代圖に崇神天皇六
    十五年始建熊野本宮とあり新宮十二宮の(早)玉男を本社とす草創は神武天皇四
    十九年戊午六月なり那智は事觧男を祭る仁徳天皇御宇に建ると申傳たり神武帝よ
    り代々の帝熊野行幸の道筋は御舟にて勝浦の渡りに到り神の村の天津やしろ國津
    社の十二宮に禮社あり夫より有馬村の花の窟に伊弉冉の陵を拜し給ひ板屋越と云
    所を音無宮出大和國に歸らせ玉ふなり花窟今に至て新宮の末社なり
   新の山御旅所 本社の西北五町許にあり
   飛鳥社  新宮町はつれより拾町餘上熊野村にあり事觧男命を祭る又一説に本社は
        速玉男東一社は高倉下と云
   徐福社  飛鳥社の境内イニ明日木と云里人はたまの木と云
   宮戸社  飛鳥より二町程脇川邊に有俗に蓬莱山と云泉守道神也と此處泉津平坂標
        示也と云
   頭八咫祠 新宮城の要害の藪の中にあり
   牛鼻神祠 新宮川向にあり本社より八町傳曰祭千翁命
     南紀古士傳曰神武帝征南方賊虜軍到荒坂山又陣秋津野日久糧絶熊野邑有人名千
     翁命献稻一千束帝賞之賜姓穂積臣生三子鈴木宇井榎本是也謂之熊野三苗後爲權
     現社司矣千翁命者賀茂臣祖建祇命之兄而熊野邑之神祠也今牛鼻明神而熊野之氏
     神三苗之祖神也建祇命者加茂氏之祖也
   行家之家地 宮戸より濱の王子への道の左新宮十郎(熊野に隠籠たるを)高倉宮の
         使節を仰せ含められ藏人になされ行家と改るの事盛衰記に見ゆ
   玉の井橋 同道筋にあり
   濱王子社 宮戸社より十町許海邊松原の内社の東南に頓宮の跡あり
   神 倉  新宮の鳥居より十五町 熊野地主高倉下を祭と也天照大神をも合祭る
    續古今  熊野に詣て侍ける時かんくらにて太政大臣一位きはめぬる事をおもひ
         つゝけてよみ侍りける
           三熊野の神くら山の石たゝみのほりはてても猶いのるかな
       
イニ神倉山申の刻より不登所也右に庚申堂有續き尼寺有妙心寺と云當時京都
        宮家より住職(鳥居左に山伏あり額熊野根本神藏大權現坂けはし右に地藏
        堂あり祭禮正月十六日夜大黒天左の谷に有)
   水傳磯  新宮川の下にあり浦人は水つき磯と云
        新宮川を渡り成川と云處へ出夫より奥熊野街道勢州田丸へ出る也那智山
        へ出るには三輪崎へ行也
三輪崎より  宇久井迄半里 
イニ一里
    万 葉 三輪か崎あら磯も見へす波たゝぬいつこよりゆかんよき道はあらし
    夫 木 三輪崎夕汐させはむら千鳥佐野のわたりに聲うつるなり
  御手洗  三輪崎より五町程前坂の峠の道の左海邊
  上野明神 三輪崎浦入口より前道の右山手
  鈴 島  孔子島 荒坂山
    此所の濱より下古泊浦と云處迄七里の御濱云七里の間舟着なし荒き所なり
  佐野山  三輪崎村より佐野村へつきたる道の右の山也
    万 葉 佐野山にうつやをのとのとをうともねもとゝころかおゆに見えつる
  佐野の岡 三輪村はつれより右山の原を云
    續古今 佐野の岡越行人の衣手にくたき朝けの雪は降つゝ      光明峰入道
    玉 葉  秋風の寒きあしたに佐野の岡こゆらん君にきぬかさましを
 佐野村   佐野の松原 佐野村往還之左右にあり
    日本記神武帝軍至名艸邑遂越狹野到熊野神邑云々
    夫 木  駒なつむさのゝ朝けに見渡せは松原遠く降れる白雪      隆 輔
    拾遺愚草 冬の日をあられふりはへ朝たては浪に波こすさのゝ月影
  王 子  佐野村松原はつれ道の右
  高根の松 宇久井村より一町程前道の左高根島の磯際岩の上にあり
  大夫松  宇久井村より一町程前道の右相傳平維盛入水の時裝束を脱き此松にに掛置
       しと
  目覺山  同村より前左の方海中にあり相傳ふ文覺の歌に
         目覺山おろす嵐のはけしくて高根の松もねいらさりけり
  鳴耶濱  同村領大公事坂左の濱を云
     松 葉  なくさまぬなをたつ人は夜と共にねをうなくやの濱のまにく  
宇久井より  濱宮迄一里半 
イニ一里   
    小くし坂下りけはし
  太地崎  大公事坂崎より左の方に遠く見ゆ
  赤色濱  同坂より十町程先道の左の海濱を云相傳ふ此處の沖にて平維盛入水すと
  丹敷浦  右同所之海邊を云
    日本記神武帝帥軍進到熊野荒坂津因誅丹敷戸畔者 注荒坂津亦名丹敷浦
  山成島  大公事坂より濱の宮村への道より左に遠く見ゆ
    平家物語に維盛濱宮王子前より舟に棹さして遙の沖に山成の島と云所有船漕寄て
    崖に上り松の木を削て名字を書付ると云々相傳維盛赤池濱にて入水と僞り此所に
    あかりて後色川郷大野村に隠ると云
  大勝浦  同し邊   綱切島 同し邊
濱の宮より  那智迄五十町
   土人は三所權現を祭ると云名寄に渚の森云有此社内に渚森と云あれは渚宮と云可か
        夜もすから沖の鈴鴨羽ふりしてなきさの宮にきねつゝみうつ  源仲正
  補陀落山 左千手觀音三尺立像堂七間四面裏道より通りへ出る
  大へら石 沖にあり 二色か浦
  小へら石
  太刀落島 此邊に一間四方の石あり押せばことく鳴也依て山鳴と云か
 川關村   八幡宮あり
 井關村   妙法山道あり左の山手に銅山見ゆる妙法山に行道筋也
  銅山  續日本記曰大寶三年五月巳亥令紀伊國奈我名草停布調獻絲但阿堤飯高牟漏三
      郡獻銀也
  市野々村  千代か井道の右山根にあり市野々王子の道の右山手
  光 峯  市野々村道の右山の峯
  天照大神顯向石 同村の中 王子より先道の右の方
 二の瀬村  茶屋より瀧見ゆる
  多富家王子 那智山坂の内一里程上り右
  下 馬  石碑 禁殺生穢忌
  青崖寺鳥居 前に茶屋あり是より内魚類を禁す
  山門額  日本第一大靈顯所根本熊野三所權現
  二王門  石段坂なり町石あり
  本 社  事速男命號結宮巽向  十二社
  拜 殿  彌勒堂  神樂所


    (那智大社社殿配置図)


  如意輪觀世音 眞言宗十二間に十二間鰐口唐金大さ三尺許
    下馬より六町登り右へ行道あり瀧の本への道あり六町あり
  那智山 夫 木  又たゝひなちのお山にすむ月の清き光に松風そふく  後鳥羽院
          遙なる那智の濱路過てこそ浦と海との果は見えけり   俊  成
  帽子石  下馬より坂を上り尻ふり坂峠より見ゆ
  瀧本觀音 一寸六分
  瀧見堂 右二間に三間也
  一の瀧  本社より北六町計高百間許廣七八間許あり水口に釣鐘石螺貝あり坂の下に
       花山法皇宸筆の寫□あり太上天皇垣仁驛安年十月朔日初度
    毎年六月十七日瀧登也山上に不動明王姥かふところ 猿すへり はかり石
  二の瀧  右峠より六町程下る本社より西廿二町高卅間許一の瀧より小さき也道に劍
       か淵あり一の瀧上四十間ほど水上なり
     山家集 二の瀧の本へ參り着たり如意輪の瀧となん申と聞て拜みければ實に少う
         ちかたふきたる樣に瀧流れて下りて貫く覺ゆ云々
  三の瀧  本社の西北廿五町許高拾間許禪定のこらす廻りて堂の脇より雲取坂へ掛る
       七八町上り
     續古今 なちの山遙におつる瀧つせにすゝく心の塵も殘らし   式就門院御醫
     夫 木 石はしる瀧にまかひてなち山の高根を見れは花のしら雲    花山院
     山家集  三重の瀧みけるに殊にけうとく覺えて三業の罪も雪かるゝ心地しけれ
          は身につもる詞の罪もあらはれて心すみぬる三かさねの瀧
  辨の瀧  本社の西北廿一町許側に弁財天ある故に名付
  新客瀧  本社の南三町許瀧本初ての行此處にて修すと云
  文覺瀧  本社の方六町許荒行せしは此瀧也
  最勝ヶ瀧 二の瀧壺右の方高七八十間程
  屏風岩  二の瀧の前山にあり
  柴燈護摩の段 二の瀧より四町余脇にあり
  不動堂  護摩の段のわき
  布引瀧  護摩の段より二町程脇にあり
  花山法皇御室跡 不動堂より二町程脇にあり南向石あり昔の茶碗二つ御茶臺石の櫃に納
  櫻の朽木 右御屋敷跡の前
     花山法皇御製 木の本をすみかとすれはおのつから花見る人と成にけるかな
     風雅集 那智の山に花山院の庵室のありけるうへに櫻の木の侍るを見てすみかと
         すれはと讀せ給ひけるを思ひ出られてよみにける
        木の本に住ける跡をみつるかな那智の高根の花をたつねて 西 行
  妙法山  上野院阿彌陀寺と云弘法大師開基濱の宮より五十町那智觀音より二十五町
    那智山より湯の峯路
那智山より登り  三十町
あかり茶屋より  廿五町

  舟見峠  高峠也左に出たるは太地鼻 右に出たるは汐の岬」三十町 此間八町坂と云あり
       下り也
  貝餅茶屋 十二町   右に地藏あり
  地藏茶屋 春旅人多き時は茶やあり冬はなし 八町
  越 前  此間下り坂    廿五町
  楠の窪  在内廣し右の方は谷川より手前皆大山村也向の方を東村と云 廿五町是を
       どう切坂と云木口前にわらふ石あり川あり舟渡し是迄大雲取
  木 口  小畝與七茶屋是より小雲取 五十町
  櫻茶屋            廿五町
  石 堂            三十町
  松 畑  上の山より右に万年峠見ゆ本宮より新宮に陸地を行は万歳越と云 卅六町
  請 川            十八町
  本 宮            卅二町
  湯 峯  請川より直に湯の峯へ五十町也
湯峯より見越峠へ   二里也
  東光寺  宗旨眞言宗宿屋十七八軒あり
    紀伊國温泉行幸
  花山院法皇 文武帝大寶元年
  丹敷戸畔祠 渚の宮の北の方に小さき叢祠あり錦浦明神と云
 濱の宮  天満宮へ七町半  イニ半里
    渚森本哭澤森
  帆立島  濱の宮より天満への道の左海中に見ゆ相傳補陀落渡海の時舟此所にて帆を
       あくると
  天満村   湯本へ十二町
 イニ半里
  左 勝 浦          
   松音寺  白川法皇御影あり 駿田坂
  湯 本  湯川とも云湯本川     十一町半
  橋の川  橋の川歩行渡り      十七町半
  二河川  温泉あり       市屋へ卅五町 イニ一里
   夏山 南の濱にあり峯に辨天あり
   光明窟入口九尺四方許窟の内十坪許末次第に狹し那智へぬけ通ると云
  市 屋   庄村へ九町 イニ十町
   森か浦
   太地浦  太地へ廻るは市屋より森か浦夫より太地夫より廿町程下里へ出る
     太地角右衛門と云先祖鯨突始たる者也
       昔鎌倉尼將軍熊野參詣の時此浦に一宿有角右衛門先祖に頼の一次を賜りけ
       るとかや
  庄 村   浦上へ一里

  下里村  左 磯崎
   高 芝  粉白浦
   玉の浦   粉白村の西南十町許長二町許の所を云と也村の東邊三十里島より西の
        方むしくひ島迄濱の間風景よし此地を玉浦と云へきかと云説あり
      万 葉 荒磯にもまして思ひや玉の浦はなれこしまの夢にし見ゆる
      夫 木 小夜更て月影寒し玉の浦はなれこしまに千鳥鳴なり    忠   盛
         玉の浦はなれ小島の潮の間に夕あさりして田鶴は鳴なり  衣笠内大臣
         ぬれてほす沖の鴎の毛衣に又打かくる玉の浦なみ     西   行
  浦 神  一里

  下田原  一里 イニ三十町
  津 荷  一里半 
イニ十七町
  古座浦  
 イニ神河迄十町   西向井へ十八町
    川口より左向遠く橋杭并上野の臺見ゆると千川の瀧古座川の上西川より三里程奥
   古座川  長十里許大なる椎の實出る黒島とて茂たる島あり此川上半町程行は御目
        付屋敷有中港と云處なり
 西向井村  古座の向舟渡し三町許  神の川へ六町

  河内明神 古座川筋宇津木村手前にあり
  木の本  串本村にあり住吉三社の由新宮の末社也一説に少彦名命を祭るといふ
  潮御崎明神 上野浦水崎に有
    少彦名を祭ると也日本記少彦名命行至熊野之御崎遂適於常世郷矣云々三代實録に
    神位を授けられしことあり 那智の支配のよし
 神の川村  十三町 
イニ廿六町
 伊串村   十五町 
イニ十町  橋杭とて海中に岩あり
 姫 村   此處に黒き砂石あり那智黒と云碁石なり  鬮川へ十八町 
イニ廿町
  向に  大島 須江 樫野  いつれも小島なり民家あり
    姫村より右へ行は本海道にて鬮川へ出るなり左へ行は島崎浦に出る此道上野々原
    とて廣き原ありと云
 汐崎浦 汐の岬とも燈明あり廻船の爲なり汐崎權現あり
    片潮の處西より東へ流るゝは下り潮と云東より西へ流るゝを上り潮と云上り潮は
    年久しく下り潮は年短し

 鬮 川   十六町 イニ廿町
 二色浦  錦の袋とて港あり  七町 
イニ十町 
 二部浦  (くゝり岩) 廿八町 
イニ一里 
 有田浦  廿三町 
イニ半里
 田並浦  十九町
イニ半里  そしま岩の中程に穴あり
 江 田  廿町 
イニ半里  
 田 子  三十町 
イニ半里  沖に横島あり
 和 深 二十五町 
イニ卅一町
 里 浦  一里 
イニ廿八町
  しるたれ坂
 江 住   廿八町 
イニ廿町
    しもく山 ゑひす岩
 見老浦  和深川へ一里十八町 
イニ一里半
  口和深村 和深山 風折山とも云
  長(枝)坂 上り廿五町程けはし下り八町
 和深川村  一里十町 
イニ一里半或曰一里
  馬ころひ坂
  王 子  和深川村の中道の右にあり
  和深山  同村の中道の左にあり
        わふる山岩間に根さすそほれ松わりなくてのや老やはてなん  清 輔
  岩田川  富士川の上岩田村の上を云
  神 島  新庄村はつれより左向山鼻の後を云由
 形見浦   同所
  呼上關跡 新庄村の中道より右にあり

  磯間ヶ浦 神子領港村の内つふり坂下口より左山の間より遠く見ゆ
    新後拾遺 梓弓磯間か浦に引あみのめにかけなからあわぬ君哉      爲 家
 周参見    安居へ一里十町 
イニ一里半
  此間佛峠 凡鬮川より周参見迄四十八坂あり小坂也  山越に田邊道あり
  谷川舟渡し日並浦へ引は廻り也
  ほら谷  瀧あり周参見より一里許
 安 居    一里廿三町 
イニ三里
  富田坂
 富 田    二里七町 
イニ一里
 且来村   一里半
田 邊
 田邊より   湯崎へ舟渡し三里
  陸 地
 風莫濱  瀬戸と田邊の間の濱也 鯛
(網カ)しらすとも云
    万 葉 風莫の濱の白浪いたつらにこゝによりくるみる人ならは
(す)  意言丸
 江 浦
 瀬戸浦  建仁元年十月熊野御幸の時右馬介源家長
        冬のきてまたつけ初ぬ雪の色に同し白良の濱の月かけ
 湯崎 銀
(鉛カ)
  温泉 崎の湯 屋形の湯 濱の湯 元の湯 まぶの湯 外に擂鉢程なるあわ湯有石垣
  の下にあり就中よき湯なり

新宮より伊勢道 
 新宮より 舟渡し   十町
 成 川  右鵜殿左河の内村 昔は旗本鵜殿某領地也 一里余
 井田村  此邊より木本迄平地松原也 右同斷
  梶ヶ鼻王子 成川村より井田村への道の右
 重出 水傳磯 右斷右の海邊にあり

    万 葉 水つての磯の浦わの岩つゝしもえさく道を又見けんかも
    夫 木 水つての磯間のつゝし咲しよりあまのいさり火よるとやはみる衣笠内大臣
 阿田波村  一里
 下市木村  一里半
  産田社  道より十一町程左に入花の窟有間村口 檜杖の邊より入
  王子窟  花窟の前に有かぐつなる由
  大河内  大塔宮旗擧所
  三浦の瀧 是より間近く木本に出る
 有馬村   十八町
  鳴呼の岩 二つ濱邊左にあり         
  大馬權現 右の岩間より二里許山中に入る途あり
 木本浦   十五町
  魔見ヶ嶋 大泊領大ふき坂上り口二十町ほと右海中に見ゆ
  鬼ヶ城  同所より八町程右海中に見ゆ
  □山清水寺 大泊より左の山上
  泊りの瀧 觀音堂へ登る山際より左へ二丁程大瀧也瀧壺なし不動尊あり
 大泊村   古泊浦右に見ゆ谷川あり此間大吹坂也  廿五町
  波田須村  谷川二つ横手坂  二十八町
  新鹿村   徳司明神の左にあり小川三つ右に遊木浦 一里七町
  狼 坂  逢神坂共書道甚嶮し
  楯ヶ崎  狼坂峠下り口より右向ひ海中に遠く見ゆ
     盧主集 うつ波に満くる汐のたゝかふを楯か崎とはいふそ有ける
    同集にたてをついたるよふなる巖とも云
  二木島浦  右へ甫母浦見ゆる一里許沖の方楯ヶ崎見ゆる遠見番所あり
   曾根太郎曾根次郎 坂道嶮し
  曾根浦   賀田村へ十二町
   此浦より三木里へ舟渡し有陸地は遠くして山道けはし此間小川あり平地なり
  加田村   十五町 此間横手坂
  古江(浦) 一里   川あり横手坂
  三木里    矢の濱へ二里半
    三木里より名柄村夫より八木山にかゝる右に古脇村あり夫より三木浦へ行道あり
   三木浦   此處は本は志摩國なりしか今は紀州に屬せり
     山家集 新宮よりいせのかたへまかりけるに三木島に舟の沙汰しける浦人の黒き
         髪は一筋もなかりけるをよひよせて
            年へたる浦のあま人事とはん浪をかさねて幾代すきよき
          又 黒髪は過ると見えし白浪をかつきはてたる身にはしるあま
   八鬼山  上り一里半下り一里半と云十五郎茶屋あり
    峠に日輪寺三寶荒神堂山伏住す
    川二つ志州崎嶋之界
    連花石  八木山坂峠下り口より海中に遠く見ゆ
 矢濱村   川二つ平地也  廿四町
    此間向井浦 林浦 南浦 中井浦 堀北浦 五ヶ浦 町つゝき惣名尾鷲浦
 堀北浦   川一つ  三十五町
  長越坂  まこせ坂と云麓に岩穴道あり岩穴は坂中にあり上り下り一里石垣にて道惡
       し
 便の山村  右に古の本枝郷渡利并引本浦見ゆ 十八町 此間横手坂
 古の本村  元粉本と曰 十六町 平地なり

    古の本より渡利へ八九町渡利より引本へ四五町その間にあり松島村あり
    引本より海上一里 矢口浦  矢口浦より十二町 白浦 白浦より三里 古里
      野見ゆ舟にて

    長島へ渡る
 船津村        十九町
 中里村        十町
 上里村   中禪寺と云平地也  十七町
 馬瀬村   小川あり坂道けはし 一里三町
 三 浦   此間坂二つ嶮    一里十二町
 海野浦   此間小坂あり    十七町
 長嶋浦   二郷川あり 二郷へ 十町
 二色浦   長島村の東一里許にあり浦の長さ八九町許此所本は志州也今紀州に屬す
    後拾遺 名の高き錦の浦を來て見れはかつかぬあまはすくなかりける  道令法師
 二 郷         間弓へ 二里半
  河内村荷坂小川村梅か谷荷坂上り下り一里峠に紀勢の境木あり
  大圖村大津也此所より高野熊野追分小坂あり
 間 弓 此間小川多し    二里半
  駒 村 川あり  崎 村 川あり  かしわ野此邊川五つ六つあり
 阿  曾       粟生へ 三里
  瀧原太神宮兩宮あり杉林に名木あり
  長者か野 はふか坂
(一り)野後村宿よし
  三瀬川  舟渡し惡き川なりみせ坂
(一り)三勢
 粟生村        相賀瀬へ 二里半或云三里
 

  栃原楠村
一り半上下二ヶ村あり間の宿なり
  田口村   此處銚子か口と云有舟に乘ぬ處なり
 相鹿瀬         二里半

  大辻村
一り狩野村(蚊野村か) 糸村
  佛坂上り下り四町 彌き坂上り下り廿町
 田丸より        山田へ 一里半
  宮 川
  栗谷越
 七日市より       天ヶ瀬迄四里
  栃 川   四十八谷と云湯の谷峠阪道也
  栗谷靈荷社     七日市より 三里
 天ヶ瀬 阿曾迄江馬村       四里
  庄津の渡しあり 管小家村 川合 野尻
  野道本街道へ出る歩行渡り野尻是より阿曾へ一里
  阿 曾           二里半
  間 弓 三里余
  長 島

    熊野御幸定家記所載王子

 阿部野王子  堺  王子  大鳥居王子  篠田 王子  平松 王子
 井口 王子  池  王子  淺宇阿王子  靱持 王子  胡木新王子
 佐野 王子  籾井 王子  厩戸 王子 信達一之瀬王子 地藏堂王子
 宇羽目王子  中山 王子  山口 王子  川邊 王子  中村 王子
 吐前 王子  松坂 王子  菩提房王子  秡戸 王子  藤白 王子
藤代坂五躰王子  塔下 王子  橘本 王子  所坂 王子   一壺 王子
 蕪坂塔下王子 山口 王子  絲鹿 王子  逆川 王子  ためさき王子
 井關 王子  つのせ王子  沓掛 王子 内のはた王子
「つち金剛童子云々」田藤次王子
 愛徳山王子  くりま王子  いわうち王子 鹽屋 王子  上野 王子
 ついの王子  いかるか王子 切目 王子  切目中山王子 岩代 王子
 千里 王子  三鍋 王子  はや 王子  出立 王子  秋津 王子
 丸  王子  みすゝ王子  やかみ王子  稲葉根王子  一の瀬王子
 瀧尻 王子  重點 王子  大坂本王子  近露 王子  ひ そ 原
 繼 櫻    岩 神    發心門王子

    那智の道王子數多御座と有  鳥羽よりの御幸なるへし
    高野山より本宮への道筋 果なし越と云

一、高野山より  大瀧へ  五十町下り 一、大瀧より  水ヶ峯へ  五十町上り
一、水ヶ峯より  大又へ  二り下り  一、大又より  かやこやへ 十八町上り
一、かやこやより 上へ西へ 五十四町上り一、上西より  寒の川へ  七十二町下り
一、寒川より   三浦へ  十八町上り 一、三浦より  矢倉へ   百町上り下り
一、矢倉より   田良原へ 五十町   一、田良原より 柳本へ   五十町
一、柳本より   果無峠へ 七十二町  一、峠より   八木尾へ  七十二町下り
一、八木尾より  本宮迄  五十町  


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   あ と が き
『熊野道中記』は『南紀徳川史』では著者不明となっており、何時の作かも記されていない
が、小山靖憲・笠原正夫編『南紀と熊野古道』(二〇〇三年一〇月)では、鳥井源之丞享保
七(一七二二)年の編と書かれている。
内容は『熊野獨参記(南紀郷導記)』・『熊野巡覧記』・『熊野詣紀行』等の江戸時代の紀
行文や案内記に比べ簡単に纏められている。  
既に『南紀徳川史』に活字化されていたのでワープロ化をためらったが、尾尻宏介氏のH・
Pの資料ページに提供しようとワープロ化した。
      平成一七(二〇〇五)年八月四日
                清水 章博   

熊野関係古籍     熊野古道